★日本で買える台湾製品(自社ブランド製品)★
CyberLink・・・動画編集ソフト
ジャアント(GIANT)・・・自転車
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GIGABYTE・・・マザーボード、ビデオカード等
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Transcend・・・フラッシュメモリ、DRAM、SSD等
http://alfalfalfa.com/archives/5285824.html
俺が愛して止まない祖母は無学文盲に近い。若い頃、そんな祖母に一回だけ金の無心をしたことがある。数日経って現金書留が届いた。中には新札で五万円と「じぶんがしんどいときは、よわいひとをいじめたくなります。きをつけなさい」と書かれた手紙が入っていた。あの手紙のおかげで、今の俺がある。
■高校生の頃、趣味で文芸同人誌の編集をした。僕は編集長だ。ただし、長といっても偉くはない。編集をしたのは僕一人だ。執筆を頼んだのは4人。皆頭が良さそうだったし、実際良かった。話も面白かったし、本も良く読んでいた。それで小説か、エッセイを頼んだのだ。皆、引き受けた。これで僕は編集が出来るぞと思ってウキウキした。レイアウトシートなども用意した。だが、すぐに問題が起こる。
■書かないのだ。誰も書かないのだ。一人もだよ。書くっていったのに。そんなのあるか。勿論、催促をする。いったい、いつになったら書くのか。すると皆、ハンでついたように同じ事を言うのだ。
「・・・書けない」(ため息をハァ、とつく)。
■だって打ち合わせをしたじゃないか。自信満々に内容を語ったじゃないか。ある一人などこうもいったはずだ。「もう、すべて頭の中にある。あとは書くだけさ」 でも、書かないのだ。一行も書かないのだ。なんだかんだと言い訳ばかりして結局一人も書かなかった。
■それで仲の良かったNに頼んだのだ。Nなら何とかしてくれると思ったのだ。Nは「小説などあまり読まないし、文章なども書いたことはないがまあ何とかしよう」と言い、2週間で50枚ほども書いてくれた。同人誌は、結果的にNの個人誌になったわけである。
■本が出来上がると執筆予定だった4人が現れて、Nの書いた文章をボロクソに批判した。曰く、Nの書いたものはある著名な小説家の文章に良く似ている。スタイルだけ借りた、志の無い駄作だと言うのである。
■僕は、こいつらはなんだろう、と思った。なんなんだよお前らは。
■4人の指摘は確かに当たってはいたのである。Nには書きたいモノなどなかったのだ。それはそうだ。だって僕に頼まれて仕方なく書いたのだから。だからある作家のスタイル-文体など-を借りて、内容はともかく、体裁だけはそれらしいものをと、形だけ、とにかく書いたわけである。それはまあ、僕にも分かった。
■しかしだからと言ってお前らはなんだ。
■きっとこういうことである。奴らは傑作を書こうとしたのである。 このオレ様が書くのであれば、その作品は大傑作以外にあり得ない、と鼻息も荒くだが平静を装うためコーヒーなどすすり書き始めたはずなのである。 一行書き、一枚書いてみる。 読み返す。陳腐である。おかしい。書き直す。読み返す。凡庸である。頭の中にあったときは世紀の大傑作だったものが、実際に書いてみるとコレは・・・という代物にしかならぬ。がっかりだ。こんなもの人目に晒すとバカにされてしまうかもしれない。何より自分が許せない。傷つくぞ、プライドが。悪夢である。
■で、その悪夢から逃れる素晴らしい方法があるのだ。書かなければいい。そして人の書いたぼろぼろの作品をバカにして心の平穏を取り戻すのだ。 バカ者だと思った。このばかめ。
■10年振りにNから連絡があった。小説家になれそうだというのである。ほんとかよ。夏くらいに文芸誌に短編がのるはずだ。なんと感動的な話だろう。
■最初Nには書きたいものは無かったし、書く技術もなかった。ソフトも、ハードも無かったということだ。だが必要に迫られて、ハードだけをどこかから借り受けて、ソフトの無い作品をでっちあげた。そして何作か書く内に、書きたいものが出来た。ソフトが出来たわけだ。だが、ハードはまだ借り物だ。まあでも兎に角書いてゆく。そして10年が経ち、いつの間にかハードも立派に自分製になっていた。自分の技術で、自分の言葉を書く、プロの物書きだ。おめでとう、N。
法王はチベット的慈悲への執着の例として、良く知る一人の僧侶の話をされた。
「この僧侶は中国の監獄に18年間捕えられ、1980年にインドに亡命した。
すでに90歳を越えている。
彼とは時々話しをするがある時、「監獄にいたとき一度大変に危険な目に遭った」と彼が言った。
私はてっきり彼が殺されそうになったのかと思った。
しかし彼は「中国人に対して慈悲の心を失いそうになったことがある」と言ったのだった。
あらゆるものの中で最も本質的なものに人がはじめて気づくのは,まさにそれを突然失ったときである
“
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ウィトゲンシュタイン 1930年4月26日(『ウィトゲンシュタイン哲学宗教日記』p.23)
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最後に一つ。
もし本気で生きている人を見かけたら、罵声を浴びせたり足を引っ張ったりせずに、道を空けて欲しい。
以上です。
偏見は無知からではなく、中途半端な知識から生まれる。
クフ王すげーよなぁ。数千年前の公共事業で未だにエジプトに収益もたらしているんだから。
例えば「動いていたAが止まった」という事実を報道するときに
「Aが動くのを一時中断しました」と表現すれば好意的になるし
「Aが動くのを突然やめてしまいました」と表現すればマイナスになる
さらに「なぜ、この時期に動くのをやめたのか、関係者の間で動揺が広がることも予想されます」となり、それを受けて
「一部マスコミでは、何故止まったのかという批判的な報道もなされていますが」 とこのあたりでマイナスイメージが既成事実化される
で、コメンテーターが自分の意見だと言い訳したうえで「この時期に止まるというのはおかしいと言っていいでしょうね」と言いだす。
この辺まで来ると世論もAに対してマイナスのイメージを持つようになる。そのタイミングを見計らって世論調査が行なわれ
「○○新聞社の調査によると、Aに対して支持するが30% 支持しないが47%という結果が出ました」という「事実」が報道される。
「この数字は、国民がいかにAを信頼してないか、不信感の表れでしょうね」
↑この流れを何度か繰り返せばあら不思議、ただ止まっただけのAが国民から総スカン状態
でもってAが再び動き出したとしても「今このタイミングで動くのは、人気取りのパフォーマンスにしか見えませんね」という
それが日本のマスゴミ
テレ朝で紹介されていた、事業仕訳を見学した某女子高生の感想。
「ダイエットすると言って、脳みそから減らしている。」
hiromikubota:
楽天レシピは2010年10月1日にオープンしました。レシピ投稿は50ポイント、つくったよレポートはレシピ投稿者とレポート投稿者の双方に10ポイントが付与される仕組みでオープンしたことや(ポイントは楽天市場で1ポイント1円)、楽天が約7000万人の会員を持つ巨大プラットフォームであることから、「クックパッドを抜く」とまで騒がれたものです。(参考:cnet「『年内にクックパッド抜く』―楽天レシピ、ポイント連動で攻勢」)
それも今は昔。いまさら誰も騒ぎませんが、楽天レシピがクックパッドに勝てる気配は見られません。
楽天レシピ …
otsune:
to:
「頭のよい男は、いつも機嫌がよい」という言葉を思い出す。
林芙美子? 宇野千代? 上野千鶴子? 誰だっけかな。
たしかに、バカな人は始終プリプリして周囲にあたってるような気がする。
(よく怒ってる頭のいい人はいるのかしら? 反対に、いつも機嫌のいい頭の悪い人はいるのかしら? 頭がいいって何? 僕は、そういう細かいことにあまり興味はありません)
頭がよければ、その力で、常に自分をリラックスできる環境へと運べるのだろう。
また、頭の中の形、脳も、衝動の自分と、制御する自分のバランスがとれているのだろう。
…
古代ペルシアの呪いに、「おまえの願いがたちどころに叶うように。」というものがある。古代ペルシア人は、自我の増長の先にある破滅をよく知っていたのだろう。
ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう